内山老師の寺、京都北区にあった安泰寺で、接心(せっしん)という禅の修行があることを知り、安泰寺を初めて訪問しました。寺の玄関口には、真ん中が丸く凹んだ厚い木の板がぶら下がっていて、「御用のある方は、この板を木槌で叩いてください」と書いてありました。僕が力を込めて三度叩くと、奥のほうから縁側沿いに、一人の僧侶が足早に玄関に現れました。僧侶は「何か御用でしょうか?」と僕に尋ねました。僕は「内山老師の本を読んで、座禅がしたいと思ってやって来ました。」と答えました。その僧侶は「私が内山です」と答え、「あなたは座禅の座り方ができますか?」と僕に尋ねました。僕は、「僕はヨーガを実践していて、パドマ·アーサナ(蓮華座)という姿勢が、禅の座り方、結跏趺坐(けっかふざ)と同じです。」と答え、内山老師の目の前で、ポーズを実演しました。内山老師は、「それでは禅堂(座禅の修行場)に行きましょう」と言って、玄関の脇の廊下の突き当りにある禅堂に僕を案内しました。内山老師は壁に向かって座っている参加者たちの、空いている場所に僕を案内し、「ここで座ってください。座禅の行動は、周りの人と同じようにしてください。」と言って、御自身の座禅する場所に戻りました。
接心というのは、五日間、朝の四時から夜の九時まで、座禅を行う修行です。その期間中は言葉を一言も発してはならず、ひたすら座禅をします。食事は朝、昼、晩に三度あり、食事の後は30分休憩します。座禅は50分間坐蒲(ざふ)という円形の布団に座り、10分は経行(きんひん)と言って、胸の前で手を組んで、一呼吸ごとに半歩ずつ右回りに、正方形に歩きます。
壁に向き合って座り続ける座禅、この寺は曹洞宗という道元禅師の宗派に属していて、座禅の方法は「只管打坐(しかんたざ)」という、「ただ座りなさい」という教えです。その目的は「身心脱落(しんしんだつらく)」という、身体と心への全ての執着からの脱出です。
「ただ座る」という教えなのですが、「ただ座る」ことは簡単にはできません。座ったとたんに、あれやこれやと世間での生活の記憶がどっと押し寄せ、その記憶への対応で自分の心が揺れ動くのです。静寂を体験し、自分は自己の正体を知るために来たはずなのに、そんな余裕はなく、自分の心の中は世間での記憶が駆け巡るのです。日常生活では全く気がつかなかった自分の心の活動と直面しなくてはなりません。一回の座禅の50分が数時間に感じられます。長い長い自分の心の動きとの対面、何度も行き場のない自分に向き合います。誰とも会話せずに過ごす五日間、ただ座り、経行を繰り返すだけの日々、自分自身の心の想像を絶する様々な活動との直面、それが僕の安泰寺での最初の座禅体験でした。