
ヨーガ塾
Sri Chakra
― シュリー・チャクラ ―

Vol.8 山奥での暮らし
僕が京都で生活して一年が経過したころ(27歳)、働いていた会社からボーナスが支給され、その額が会社の景気が順調だったため、約半年間くらい僕が生活できる額だったので、僕が夢見ていた山奥での一人の生活をしよう、と決意しました。「私は誰か」という答えを得るためには、社会や人間関係の全てから一度離れなければならない、とその頃の僕は強烈に感じていました。東京での演劇とダンスの生活を一度全て捨てて、全く別な場所で新しく生活を始めたい、と考えて京都にやって来たのでしたが、京都で一年が経過し、その考えがさらに極限まで進展したのです。
僕が働いていた会社(製薬の材料の製造)の研究室長の佐藤さんという方がいて、彼のお兄さん(元は大阪フィルハーモニーのオーボエ奏者)が現在和歌山県の山奥で「アマゴ(サツキマス)」の養殖をしていて、君ときっと話が合いそうだよ、遊びに行ってみたら、と勧められました。その場所は和歌山県すさみ町栗垣糸(くりがいと)という場所で、和歌山県南部の海辺のJR周参見(すさみ)駅からバスで50分くらい山奥に入り、そのバス停から徒歩1時間くらいの山奥でした。その場所のさらに奥には誰も住んでいる人がいなかったのですが、以前には一軒住んでいた農家があり、その家族はその当時すでに村の集落に移動していたため、空き家になっていました。佐藤さんのお兄さんに頼んだところ、その家の持ち主からその家に住むことを快く許可されました。
そのころ、Journal Vol.6で登場した僕のヨーガの先輩が西インドのロナウラのヨーガセンターから帰国し、僕と一緒に山奥でヨーガの修行をしたいという連絡が届き、僕は一人での生活を望んでいたのでしたが、お世話になった先輩の申し出を受け容れ、一緒に山奥のその一軒家で生活することになりました。僕のヨーガの先輩は坂下さんという人で、現在は埼玉県の秩父市でヨーガ教室を主宰しています。
山奥での生活は4か月でしたが、2か月間は先輩坂下さんと一緒に生活し、残りの2か月間は僕が夢見ていたたった一人での独存生活となりました。山奥での生活を開始したのは9月の始めで、空き家の農家の南側は以前には畑だった場所に2メールの高さのススキが広がり、日本の秋そのものの風景でした。家の脇には清らかな小川が流れ、僕たちの生活用水は、その小川の上流から引いたパイプからやって来る清水(せいすい)でした。その空き家には以前に使用していた五右衛門風呂があり、週に三回くらい薪(まき)で風呂を焚き、日中の一番暖かい時間に入浴を楽しみました。食事は僕が持参した圧力釜で炊く玄米と、村に一軒あるお店で購入した味噌と野菜で作る質素な味噌汁のみでした。僕たちは朝5時に起床し、一時間瞑想し、そのあと2時間ハタヨーガを実習し、夕方は4時から2時間ハタヨーガ、1時間瞑想を毎日繰り返しました。
2か月が過ぎ、坂下さんが東京に帰った後、僕は渇望していたたった一人の山奥生活が始まりました。2か月間の理想的な山奥での大自然に囲まれた一人暮らしは新鮮でした。その場所で毎日読んでいたヴィヴェーカーナンダの本の中に、「朝日の昇るのは美しい。全宇宙は美しい。···山々の姿、無限の大洋、星きらめく空。全てこれらは畏敬の念を催さしめ、崇高で、実に美しい。···これらは何であるか。これらはどこから来たか。」と記されていました。僕は理想的な大自然の中でたった一人で生活しながら、結局「私は誰か」の答えを見出すことはできませんでした。